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Man-B's History
Man-Bの入院日記
 Man-Bの入院日記 part1(尺骨骨折編) 
 1996年8月、全日本選手権トライアル北海道大会に出場
中左腕尺骨を骨折した私は40歳にして生涯初の入院&手
術を経験。 なにから何まで初めての体験に、オドロキの連
続だった入院生活を面白おかしく書き綴ってみました。

↑2度目の大腿骨骨折で入院中(00年9月)
第1章−左尺骨骨折
第3章−「男の美学」vs「看護婦軍」
第5章−恐るべし、アムラー看護婦
第7章−無残!男の美学
第9章−脱着式ギブス?
第11章−再入院、そして再会
第2章−M整形外科デビュー
第4章−アムラー看護婦登場
第6章−オペ本番
第8章−ギブス付退院
第10章−復帰そしてプレート抜去

第11章 −再入院、そして再会−
M整形外科に入院するのも2度目となると、だいたいの様子がわかっているのでもう慣れたもの。特に今回はプレート抜去手術ということで、完全に治るための最後に仕上げみたいなものなので気持ちも前向きだ。

オペ当日も予定通りに準備が進み、いよいよ手術前の点滴を足にする時になって、「そういえば前回はこの点滴でひどい目にあったんだよなぁ‥‥‥」と例の「アムラー看護婦」の事を思い出していたら、なんという運命のいたずら!点滴セットを持って僕の前に現れたのは、そのアムラー看護婦だったのである!!Oh,My Good!!!!!

だが、この1年ちょっとの間で彼女の外観は大きく変わっていた。

あんなにケバくって、およそ看護婦らしからぬ見た目だったのがすっかり化粧も薄くなり、その態度まで落ち着いて見え一瞬別人かと思ってしまったほどだが、念のため名札を確認したところやはりあの時のアムラー看護婦に間違いなかった。

「覚えてる?1年ちょっと前、針が血管に入らなくてひどい目にあわされたんだけど‥‥‥???」

僕がそう言うと、彼女は「あ〜‥‥‥」と思い出した様子。
言葉に出さなかったが、きっと頭の中では「あぁ、あの時の血管がほっそォ〜い人!」と思ったのは間違いない。顔にそう書いてあったから。

しかし彼女は落ち着いた様子で、僕の右足に点滴針を刺す仕事に取りかかった。

「大丈夫?針刺すのうまくなってるの???」という僕の言葉をさえぎるように、彼女は僕の右足の血管にいとも簡単に点滴針を刺した。一発で簡単に‥‥‥。

僕は驚き、少し感動していた。
前回のあの「ダメダメ看護婦」ぶりが信じられない。人間て、1年ちょっとの間でこんなに成長することができるんだ‥‥‥。
「いや〜、すごくうまくなったねぇ!」という僕の言葉に、ちょっとムッとした様子で彼女はナースステーションに帰っていった。

ずっと後になってほかの看護婦さんから聞いた話だが、この時彼女はナースステーションに入ってくるやいなや「まったくもう!あったまにきちゃうわ!!!!!」とプンスカプンスカ怒っていたそうだ。あははは!ワルいワルい!!でも、あの時はホントにひどい目にあわされたんだから!

そして2度目の手術室入り。もう一度経験済みなのでそれほど不安はない。
前と同じように、点滴針から麻酔液が流し込まれ、マスクされた鼻から深く息を吸うと「すぅ―――‥‥‥」と落ちるように意識が消えていくこの感覚、なかなか悪くないかも???



気持ちよく麻酔に落とされたのとは対照的に、麻酔からの覚め方は最悪だった。

意識が戻った時、ちょうど喉の奥に挿入されていた何かの管を引っ張り出すところだったものだから、いきなり「オエェェェェーッ」となってしまい、心電計の鼓動を刻む電子音が「ピピピピピピピピ!!!!!」と、心拍数200は行ってるんじゃないかと思うような速いビートを刻んでるのが聞こえる。麻酔から覚めてすぐ、この仕打ちはちょっとキツかったね。

‥‥‥と、ちょっとしたアクシデントはあったがその後は順調に回復。前回のように寒気がすることもないし、痛みも我慢できるレベルだ。これなら座薬のお世話にならずにすみそう。

オペ翌日、チン管がはずされ点滴針も抜かれ「自由の身」になった僕はすぐに歩いて1階の売店へ。
何しろオペ前日の夜から何も口にできないので、腹がへって仕方がないのだ。
オペ翌日の朝までに順調にオナラが出て(←全身麻酔で活動が止まっていた腸が正常に動き始めたしるし)、やっとお茶を飲むことができ、その後昼食は「おかゆ」。これじゃぁ育ち盛りの若者(?)は腹減るわ!?!?

で、売店でお菓子とかを買い込んでボリボリ食いまくり。うま〜い!!!!!
‥‥‥しかしその後下痢(>_<)。やはりまだ内臓が回復してないんだから、おかゆで我慢しないとダメだって事ですよ。反省(^_^;)

そしてオペ後3日目、早くも退院の日。
朝の回診でM先生が傷の消毒をしている時、看護婦さんの一人が「先生、この患者さん今日退院することになってるんですが」と言い出した。
するとM先生は少し強い口調でこう言ったのだ。

「知ってるわよ、私の患者さんだもの!」

私の患者さん』‥‥‥

ワタシの患者さん』‥‥‥

わ・た・し・の患者さん』‥‥‥(←もういいよ!)

まりや、キミのこの詩の気持ちがよ〜くわかったぜ。
♪わたし〜のた〜めぇに〜 あらそわな〜い〜でぇ〜 もうこ〜れ〜い〜じょう♪(ケンカをやめてby竹内まりや)



‥‥‥そして1998年1月15日、僕は退院した。

外は雪が積もっていたが、僕の気持ちは晴れやかだった。
これで完全に左腕が治ったという気持ちと、あのアムラー看護婦の成長ぶりを目の当たりにしたことで、「よーし、オレも負けていられない。もっと人間として成長できるよう頑張るぞ!!」と、すごく前向きな気持ちでM整形外科を後にした。

そう、この時点では、約2ヵ月後にまたここに入院する事になろうとは、思ってもみなかったのだ‥‥‥。


Man-Bの入院日記 <Part1 尺骨骨折編 > −完−

2004/04/17 (C)小坂政弘




再手術後間もなく撮影した傷跡と、約1年半の間僕の体内で尺骨を固定してくれていたプレート。
プレートと固定用スクリューは、抜去後「記念品」としておみやげにもらえる事になっているんです。


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