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北海道での受傷から一週間後の1996年8月11日、僕はＭ整形外科に入院した。
40歳にして生まれて初めての入院。もちろんこの時は、これから何度もここに入院することになろうとは思ってもみなかったが。
入院期間は一週間の予定。一週間なんてあっという間だ。だからこの時の僕は、自分から積極的に入院生活に溶け込もうという意識はなかった。
一週間なら、自分の殻に閉じこもったままでも乗り切れる、っていう感覚かな？そういうのがあったから、看護婦さんに対するスタンスもどちらかといえば"対決姿勢"。
振り返るとこの頃はまだアオかったね。今では、まず看護婦さんと仲良くすることが楽しい入院生活を送るための第一歩ってことで、それを実行してますからね(^.^)
入院すると、まず病院内のどこに何があるか、看護婦さんが案内してくれる。「おトイレはこちらです。洗面所はここね‥‥‥」ってな具合。そして「入院時の心得」と「手術を受けられる患者さんへ」という２冊のパンフみたいなのを渡され、「それぞれ注意する点が書いてあるので、目を通しておいてください」って。そして最後にこう付け加えた。
「それから、オペの前にベッドの上でニョーキを使ってする練習をしておいてくださいね。」
はぁ？聞きなじみのない言葉がポンポン出てくる。意味不明だ。
「オペってなに？」
「手術です。」（オペレーションの略）
「ニョーキって？」
「尿瓶（しびん）です。」（尿器ってこと）
そうなんだよね。“ナース用語”っていうのかなぁ、病院内ではよく専門用語が使われるもんだから、最初のうちは何のことだかチンプンカンプン。
でも、入院慣れした患者になると、得意げに専門用語使いまくるようになってくるんだよね。
で、さっきの看護婦さんの言葉を訳すと「手術前にベッドで尿瓶にオシッコする練習しといてね」ってことになる。なぜ？何のために？僕は反発した。「えーっ、何でそんな事しなきゃいけないの？」ってね（なんだか小学生レベルだなぁ）。
「練習しとかないといざって時、出ないで困ることがありますから。じゃあ、後で必ずやっておいてくださいね。」
そう言って、看護婦さんはナースステーションに帰っていった。
まったく冗談じゃない。何でこのオレ様が尿瓶にションベンたれなくっちゃいけないんだ、それもベッドの上で。そんな『男の美学』に反することは絶対できないね―――僕はかたくなにそう思った。
出ました、『男の美学』。この頃、僕がこだわっていたいわば“哲学”みたいなものだ。
どういう事か他人に説明するのはすごく難しいんだけど‥‥‥そうだなぁ、例えばだれも人が入ってこないような深い山の中で急にもよおしてきて、「野グソ」をしたとしましょう（←どんなたとえだよ！？）。
で、スッキリした後、そのまま立ち去るのではなくせっせと石を積んだり土をかぶせたりして、自分のウンコが見えないようにしてから立ち去るって感じ？？？‥‥‥って、自分で言ってて全然わかんないけど。
もっと簡単にわかりやすくいえば『００７』とか『ゴルゴ13』の主人公のカッコ良さに憧れてただけかもしれないって事かな（さっきの説明と全然違うじゃん）。いいトシしてほんと子供なんだよね、僕って。
今思うと、中学生の頃に読んだ大藪春彦の"カーアクション小説"っていうのかな、それにかなり影響を受けてたね。
たしか『全開で飛ばせ』というタイトルだったと思うんだけど、それはもう「男の美学の教祖さま」みたいな主人公が、当時の憧れの名車の数々を、次から次へと乗りこなし（ついでに女性も次々と乗りかえて）敵と戦う、といった定番の内容なんだけど、とにかくカッコよかったんだ。
なんといっても、ポルシェ911Ｓとかシェビー・コブラとかハコスカＧＴ−Ｒとか、登場してくる当時の名車の特徴を細かく解説するところがすごくマニアックで、車好きだった僕にはたまらなかったし、時々突入する“エロモード”が露骨で、これまた女好きのオレにはたまらん‥‥‥おっと違った、そうじゃなくって、ウブなボクちゃんにはちょっと刺激が強すぎたんだよね〜(*^_^*)
そう、たとえば『エンジンはＤＯＨＣ（ダブル・オーヴァー・ヘッド・カムシャフト）４ヴァルヴ‥‥‥』（“v”の発音に必ず“ヴ”を使うのがとっても印象的だった） なんて言ってたかと思うと、次の瞬間には『助手席に座っている彼女のパンティの中へ手を入れると‥‥‥』 てな具合に、いきなり“エロモード全開”なんだもんね。当時まだ純情だった僕は、読んでて思わずヴォッキ‥‥‥（以下略）（←それは“v”じゃないだろ）。
―――え〜と、話を戻そう。なんだっけ？？？そう、その後も看護婦さんは僕のところへやって来るごとに「尿瓶でやってみました？」と聞いてくる。
たかが尿瓶で、なぜこれほどまでに執拗に攻撃してくるのか理解に苦しんだが、とにかくこのままじゃ敵さんは引き下がりそうもない。
そして次にまた看護婦さんが「尿瓶にやった？」と聞いてきた時、僕はイチかバチかの勝負に出ることにした。
「はい、ちゃんとやりました(^.^)」
そう、その通り。僕は看護婦さんにウソをついてやったのだ。名付けて「嘘も小便」作戦(^_^;)
見えすいたウソなのに、看護婦さんはニコっと笑顔を見せ「ほんと、じゃオッケーね！」と言ってナースステーションに戻っていった。あっけないほど見事にに作戦は成功したのだった。
‥‥‥実を言うと、この時の入院では手術後すぐに歩いてトイレに行くことができたので何も問題は起こらなかったが、ちゃんとベッド上で尿瓶にオシッコをする練習をしておかないと、いざという時に出なくって大変な事態になる場合があるということを、のちに大腿骨骨折で入院した時に知ることになるのだが、その話はまたの機会にするとしよう。
とにかく、看護婦軍側の“尿瓶攻撃”を難なくかわす事ができた僕は有頂天。
「フッ、看護婦といっても所詮は女。このオレ様のテクニックにかかればイチコロさ」と、気分はもうまさにゴルゴ13。
この勝利で僕は『男の美学』を最後まで貫き通せるという自信を持ってしまった。
そう、この時点で僕はまだ、看護婦軍側が隠し持っていた、あの『禁じ手』とも言える戦慄の最終兵器の存在を知らなかったのである‥‥‥。
(C)さいとうたかお
↑左門豊作ではありません、念のため。
作者注：現在は「看護師」という呼び方を使うようになっていますが、どうもピンとこないので、ここでは「看護婦」という呼び方を使用しています。ご了承ください。 |
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Man-B's History 
Man-Bの入院日記
1996年8月、全日本選手権トライアル北海道大会に出場
