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Man-B's History 
Man-Bの入院日記

- Man-B's History -

 Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
初めてのバイク・ハスラー250と16歳(童貞)の私

1986年 ひさびさのポイント獲得
1986年、前年ノーポイントに終わったためゼッケンは5番から49番へ大暴落。しかし当時の性能ナンバーワンマシン・TY250Rでたっぷり走り込みを行い、再び国際A級返り咲きを目指し全日本にフル参戦。ところが、開幕から3戦続けてまたもノーポイントが続いてしまう。
これには私もかなりあせった。もうこのままポイントを取れずに終わってしまうのだろうか‥‥‥?

前の年「赤い悪魔」で低迷したツケは予想以上に大きかった。単に「負けぐせ」がついてしまっただけでなく、周囲の急速なレベルアップに完全に取り残されてしまっていたのだ。

つまり、それまでのトライアルマシンとは一線を画す高性能マシン・TY250Rの登場に伴って、トライアルテクニックもさらにハイレベルなものへと進化して行った時期に私は「赤い悪魔」で低迷していたわけだから、テクニック的に大きな遅れをとってしまっていたのだ。

そして「これでポイントが取れなかったら、もうダメかもしれない」と背水の陣で臨んだ第4戦、私は14位に入り、’84年の第8戦以来約2年ぶりにポイントを獲得することができたのだった。

結局この年はこの他に9位に2回入り、合計16ポイント・ランキング20位という成績でシーズンを終えた。

写真はその第4戦・中国大会(野呂山)での私。この年は白だったTYRを赤のカラーリングにして走ってました。

それにしても、すごい悲壮感が漂ってますよね???(写真:藤田秀二氏)

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