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Man-B's History 
Man-Bの入院日記

- Man-B's History -

 Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
初めてのバイク・ハスラー250と16歳(童貞)の私

1985年 イタリア製「赤い悪魔」でビリ争い???
’85全日本第1戦の惨敗で、もうツインショックのTLRでは勝負にならないと痛感した私は、すぐに次期マシンを何にするか検討に入った(←もっと早く気がつけよ!)。そしてここで私は大きな失敗をおかしてしまう。

性能で選べば、文句なくTYRになるところだが、「打倒TYR」を掲げてTLRで戦ってきたのに、その敵を選ぶことはできない。それよりもなによりも、大勢のライダーが乗っているTYRを選ぶことは、他人と同じであることがイヤ、という性格の私には許せないことだった。
かといってRTLも好きになれないし、TLMも選択外だった。じゃあ何に乗る???

ここで私は、やけっぱちとも思えるような、意表をつく選択をしてしまうのである。そう、“ベータ TR−32”だ。

当時の外国製トライアルマシンといえば、どれも大柄で重たく信頼性もイマイチで、お金持ちが遊びで乗るもの、といったイメージがあった。この頃トライアルに参入してきたばかりのベータもやはりそうだったが、日本国内の代理店を始めたばかりの株式会社レイズが積極的に普及活動を行なっていたので、「このオレ様が乗ればいい結果は出せるはずさ!」とばかりに、ほんのわずかな試乗だけで乗ることを決めてしまったのだ‥‥‥。

結論から言えば、この選択は大きな誤りだった。4ストから2ストに乗り換えるだけでも慣れるのに時間がかかるところへ持ってきて、「でかい・おもい・こわれまくる」の3重苦!全日本に出てもポイント圏内にかすりもせず、ビリ争いに近い状態でまったく勝負にならず。誰が呼んだか「赤い悪魔」とはよく言ったものだ。

今ではすばらしいトライアルマシンを作りだしてるベータも、この頃はそりゃもうひで〜もん作ってたんだよね。でも、この年初来日したジョルディ・タレス(当時は髪フッサフサ!今は‥‥‥はい!)はこのマシンですげ〜ことやってた。やっぱりタダモノじゃないと思ったね。

で、結局半年ほど乗ったところでガマンの限界、全日本最終戦の直前にTYRに乗り換えた(みんなと一緒のはイヤ、なんていってる場合じゃないよ)が、その最終戦も22位(これでもこの年の最上位)に終わり、’85年シーズンはついにノーポイントのまま終了したのであった。あ〜あ。

写真は鶏頂山スキー場で全日本関東大会のセクション作りをしている私と「赤い悪魔」。HONDAのロゴ入りパンツが涙を誘う???

実はこの年初めて全日本のセクションコーディネーターをやったのでした。え?出ても勝ち目がなかったから?ピンポンピンポ〜ン!‥‥‥って、それだけの理由じゃないんですけど。

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