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Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
1985年 モノショック主流の中TLRで戦う決意、しかし‥‥‥
1983年にヤマハが発売を開始したモノショック採用の「TY250R」は、その圧倒的な走破性能でそれまでのホンダが大多数
を占めていたトライアル界の勢力図を一変させた。
そして1985年シーズン前にHRCからモノショック4ストロークマシン「RTL250S」が発売され、本田技研からもモノショック2
ストロークの「TLM200」が販売開始され、いよいよトライアルマシンもモノショック時代に突入する。
そんな中、TLRで戦ってきた私としてはRTLにスイッチするのが自然な流れだったのだが、このニューマシンの作りがどうしても好
きになれなかった私は、もう1年ツインショックのTLRで全日本を戦う決意を固めたのだったが‥‥‥。
’85年全日本開幕戦、ツインショックのマシンでエントリーしてきたのは僅か数名しかいなかった。
そして、モノショック化に伴って難易度がアップしたセクションは、走破性の劣るツインショックマシンで走り切るにはあまりにハード
だった‥‥‥。
開幕戦でツインショックマシンではもう勝負にならないという現実を思い知らされた私は、ここに来て急遽マシンの乗り換えを決
めたのだった。そしてその驚くべきニューマシンとは‥‥‥???
この写真は、シーズンイン直前にまかべトライアルランドでハードな乗り込みを行なっている私とTLR200改250TWKスペシャ
ル(別名“青い稲妻”号)。
この時点ではまだツインショックでも勝負できると思い込んでいたが、その自信は開幕戦で完全に打ち砕かれることになる。
ちなみに、画面右上のTYRにまたがっている人(半分切れちゃってるけど)はスコルパ輸入元・アルプスヴァンの秋山さん。
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