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Man-B's History 
Man-Bの入院日記

- Man-B's History -

 Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
初めてのバイク・ハスラー250と16歳(童貞)の私

ライディングスポーツ イヤーブック1984−85 159ページ
1984年、この年からいよいよ全日本フル参戦を開始する。目指すはもちろん国際A級返り咲きだ。

自営業になったおかげで自由に時間を使えるようになり練習時間も増え、マシンのTLR200改250のセットアップも2年目を迎えたことで満足いく状態に仕上がり、万全の体制でシーズンイン。

ところが、気合が空回りしたのか序盤戦はノーポイントが続いてしまう。
しかし、後半戦になってようやく本来の実力(?)を発揮し、必ず上位に食い込むようになり、国際A級昇格枠のランキング5位に僅差の8位まで追い上げたところで最終戦を迎える。逆転昇格の可能性は十分ありだ。

その勝負をかけた最終戦、スタートから調子は良かった。ところが5セクション目、岩盤の登りで落ちた際、着いた足が丸太で滑ったところにマシンが落ちてきて、右ヒザに激痛が走った。

右膝内側側副靭帯損傷‥‥‥。とりあえず最後まであきらめず走り切ったものの、最後はもう右膝がほとんど曲がらず、歩くのもやっとの状態だった。ノーポイント。最終年間ランキングは10位まで落ちていた。

この写真は、ライディングスポーツがシーズン終了後に出していた「イヤーブック」に載った私。写真の横のコメントは次の通り。

「小坂政弘は、昨年の最終戦で一躍2位となり注目を集めたライダーだ。そしてまた、今年の第1戦でも6位とわずか1点差の8位となり、好調なスタートを切った。だが、第2戦から第5戦までノーポイントとなったのが痛かった。第6戦で6位、第7戦では3位、第8戦5位となるが、ランキングは10位に終わる」(無断転載ごめんなさい)

ちなみに、よくわかりにくいけど左上の「アフロ頭」も私です(ちょっとハズカシ〜)。

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