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Man-B's History 
Man-Bの入院日記

- Man-B's History -

 Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
初めてのバイク・ハスラー250と16歳(童貞)の私

1994年 国産車に見切りをつけ再びBETAへ
1993年、TYZで散々な目にあった私は翌1994年、ベータのニューモデル「Techno(テクノ)」に乗ることに決めた。

ベータといえば’85年にあの“赤い悪魔”TR-32で痛い目にあっていることを思い出すが、この約10年の間にベータは飛躍的に進歩していた。
そのニューモデル“テクノ”(なぜかちょっと恥ずかしいネーミング???)のカッコ良さときたら、さすがはイタリア製!!そのスキのないデザインは、物を作る人間の端くれとして「やられた!!」と脱帽せざるを得ないものがあった。

クルマやバイクの魅力の大きな要素である“カッコ良さ”。このマシンには、眺めているだけでシビれてしまうような魅力があった。
それまで乗っていたTYZと比べると、そうだなあ‥‥‥たとえば松嶋菜々子とダンプ松本???くらいの差があった(なにせTYZは“ウエストのくびれ”ゼロだったんだから!!)。

もちろん、デザインだけでなく性能的にも文句なく、乗りこなす上で不満に感じるような点はまったくと言っていいほどなかったので、前年のうっぷんを晴らすかのように私の練習内容もどんどん過激なものにエスカレートして行った。

この写真は、当時私が毎日のように朝練に行っていた千葉県の行徳という場所に捨てられていたユンボに上ってゴキゲンのショット。

下の方が切れてしまっているが、乗っかっている面の高さは2メートル近く。しかも地面から1メートルくらいは空間になっていて、手前にキッカケを置いてそこから飛びついて上っていたのだが、まるでスタジアムトライアルのようなセクション!!それを一人でやっていたのだから、今考えると恐ろしい(2〜3回落ちているが、運良くケガはしなかった。ただしマシンの方は一度スロットルが壊れて吹けっぱなしになり、エンジンを焼き付かせてしまっている)。

で、肝心の全日本での成績はどうだったのかというと、前年TYZにあれこれとダメ出しをした際、メーカー側にぜんぜん相手にされず、ライダーとしてこれ以上ない屈辱を味わった悔しさから「ちくしょう、見てやがれ!」という思いがあまりにも強すぎて気持ちだけがカラ回り。ポイントは獲れるものの上位に食い込めず、年間ランキング21位というパッとしない成績でシーズンを終えたのであった。

それからこの年は、このベータに保安部品をつけてナンバーを取り「サンシャイントライアル」に出場、3位という結果を残すが、根っからのコンペ志向人間の私にとって初めてのツートラは、正直言って熱くなるものが足りないと感じてしまった‥‥‥(雨に降られ寒かったせい???)。
当時のトライアルジャーナル誌に掲載された出場記はこちら→マンビー小坂のツートラ初体験記

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