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Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
1992年 最強のTYRとマンビー1号・2号
年間ランキング12位という成績で'91年シーズンを終えた私は、来るべき'92年シーズンに向けて再びマシンのセットアップを開
始した。
大幅に改造を加えた'91仕様のTYRは、車体周りに関しては何の不満もなかったものの、ただ一つエンジンパワーの面でやや
不満があった。そこで、'92仕様は、車体周りは'91仕様と同じ改造を施し、エンジン関係は特に吸排気系の大幅な変更を行
った。
具体的には、キャブレターをフラットバルブのものに変更し、エキゾーストチャンバーは切り開いて内部の構造変更及び膨張室
の形状変更・容量アップを図り、さらにサイレンサーはYZ125のものを短く改造して取り付けることによって、劇的なパワーアッ
プとピックアップの向上を実現できたのであった。
「TWKスペシャルTY250R」は結局これが最終型となったのだが、ノーマルのTYRとは全く別のマシンに仕上がっていて、当時の
最新鋭マシンに決して引けをとらないポテンシャルを持っていたと思う。
そしていよいよ全日本開幕戦を迎えるのだが、私の胸中は複雑な思いが渦巻いていた。
自分の感触としては、マシンのセットアップも決まりシーズンオフの練習も十分にこなし、かなりレベルアップした実感はあったのだ
が、ますます10代の若手ライダーの台頭が進む国際B級の中で、この年36歳になる私がはたして彼らと対等に勝負できるのだ
ろうか‥‥‥?
当時のトライアル専門誌では「25歳を過ぎたらライダーとしてはフィニッシュだ」ということがまるで定説のように書かれ、私に対して
も「もういいかげん現役を退いて後進の指導に当たってはどうか?」と言ってくる人もいた。
自分としては、体力・技術ともにまだ向上し続けていることをずっと実感していたので、まだまだやれると思っていたのに、気がつく
と同世代のライバルは全日本から消えていて、親のサポートを受けながら走る10代のライダーの姿が多く見られるようになってい
た。そんな中で、私の存在は浮いたものになってしまっていたことは確かだ。
「オレのやっていることは無意味なことなのだろうか?」
「いや、そんなことはない。ハードな練習もこなし、去年よりレベルアップしてるはずだ」
「でも、若いヤツらの勢いと比べたら、勝負にならないのでは?」
‥‥‥そんな自問自答を繰り返しながら臨んだ全日本第1戦だったが、1ラップ目を走り終えた時点で、その答えははっきりと
出た。
シーズンオフにたっぷり練習を積んできた成果と、十分なマシンのポテンシャルのおかげで、ハードなセクションも思うとおりに走り
抜けることができ、間違いなく上位につけているだろうことが自分で確信できたのだ。
「やはりオレのやってきたことは間違っていない!」‥‥‥最終セクションからスタート地点へ戻る長いコースを走りながら、私の
心はこれまでの長い自問自答から開放され、安堵感のような気持ちで満たされていた。
そして2ラップ目の途中で、1ラップ目私がトップに立っていた事を知った時は、「やっぱそうでしょ!」と思ったが、すでにその時は
緊張の糸が切れてしまっていて、順位を落としているだろうこともわかっていた。
でもなぜかそれでも良かった。1ラップ目の走りだけで自分としては満足してしまったような感覚で、最終的に6位まで順位を落と
してしまったのに、悔しさは感じなかった。
というわけで、この年の私は第1戦の1ラップ目で燃え尽きてしまったような感じで、その後は例年通りポイントは取るものの上位
に食い込めないまま年間ランキングは13位と、万年B級街道まっしぐら。
写真は、その全日本第1戦(広島県ヒババレースキー場)での私と、当時の練習仲間・町田保選手。
町田選手とはこの頃一緒に行動することが多く、彼もまたあと少しのところでA級昇格を逃すパターンが続いたため「マンビー2
号」と呼ばれたこともあったが、この数年後みごと国際A級昇格を決めた。素晴らしい!!
この年はマシンも私のと同仕様の改造を施してあげていたので、この写真はまさに「マンビー1号・2号」のツーショット???
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