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Man-B's History 
Man-Bの入院日記

- Man-B's History -

 Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
初めてのバイク・ハスラー250と16歳(童貞)の私

1991年 旧式TYRを大幅モディファイ
’90年は結局ランキング8位に終わり(今なら国際A級昇格、これが2度目)、翌’91年はゼッケン3番でまたまた全日本に挑むこととなった私。マシンは相変わらずヤマハTY250R。

そのTYR、’91モデルからようやくフロントのみディスクブレーキになったものの、それ以外はほとんど変化なし。センセーショナルなデビューを飾ってから約8年が過ぎ、もはや時代遅れという感は否めなくなっていて、全日本においてもTYRの数は激減していた。

かたや外車勢はこの数年の間にどんどん進化し、’90年に登場したBETAのニューマシン「ZERO」はアルミフレームに水冷エンジンを搭載した画期的モデルで、’85年に私が乗って沈没した「赤い悪魔」TR−32とは比べ物にならないほど軽量・コンパクトな仕上がりで、性能的にも文句なく素晴らしいものだった。

そのほかにもFANTICやAPRILIAなども高性能マシンを投入してきており、外車勢が日本国内においてもかなりのシェアを占める存在になりつつあった。

そこで私は、TYRに思い切ったモディファイを加え、戦闘力アップを図ることにした。
 
まずはポジション。TYRのステップ位置は高くて後ろにある「地蔵乗り仕様」‥‥‥つまり、ステップの上でじっとしている乗り方向きで、身体の自由度が少ない。そこで、フレームに手を加えステップ位置を前方に約20ミリ、下方に約25ミリ移動。これによって積極的にボディアクションを使うライディングがぐっとしやすくなった。

次にリアブレーキのディスク化。もはや前後ともディスクブレーキが常識の中、いまだにリアはドラムブレーキのTYR。これを、TLM260のホイールを改造して取り付けたのだが、かなり大掛かりな改造でわれながら良くできたと思ったものだ。

さらにスイングアームをチェーン1リンク分延長し重量配分を前寄りにして、きつい登りのセクションにも対応。フレームにも補強を入れ横方向の剛性をアップさせた。

そしてエンジンは圧縮比を上げフライホイールのウエイトを取り外してピックアップを向上させ、年々ハードになるセクションにも対応できるようにした。

以上のモディファイによって、私のTYRはぐっとポテンシャルアップしたのであるが、ちょうどこの年あたりから10代の若手選手の台頭が目立ち始め、35歳の私はいまいち上位に食い込むことができないまま、ランキング12位でこの年のシーズンを終えたのであった‥‥‥。

写真は、全日本九州大会(たぶん)での私。この年の全日本ではみんな胸ゼッケンを着用してました。

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