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Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
1982年 栄光の赤ゼッケン21番
エキスパートクラス2年目の1981年、やはり全日本選手権には数戦のみ参戦、鶏頂山での関東大会で最上位14位に食
い込むものの、当時は10位までしかポイントがつかなかったためノーポイントでシーズンを終える(現在なら2ポイント獲得)。
そして翌82年、エキスパート、ジュニア、ノービスの各クラス呼称がそれぞれ国際A級、国内A級、国内B級に変更されると同
時に、国際A級の下に国際B級が新設された。
ここで81年エキスパートクラスだった選手は、82年シーズンを国際B級、国際A級どちらのクラスで戦うか自分で選択すること
になる。
そして国際B級を選んだ場合は’82全日本ランキング上位5名が翌83年国際A級に再昇格でき、国際A級を選んだ場合’
82全日本シリーズでポイントを獲得した選手のみ翌83年以降も国際A級にとどまることができるという、この時だけの特別規
則が設けられた。
つまり、国際A級を選んだ場合、年間を通してポイント獲得ができなければ国際B級に降格してしまうという、サバイバルゲーム
の1年間なのだ。
鶏頂山で14位に入ったことで、ポイント獲得への手応えをつかんでいた私は迷うことなく国際A級で走ることを選択したのであ
ったが、10位以内の壁は厚く、やはり鶏頂山での14位が最高位でノーポイントに終わり、国際B級降格が決定したのであっ
た‥‥‥。
写真は最終戦の東北大会(山形県・栗子スキー場)、この大会で10位以内に入れなければ降格が決定するという崖っぷち
の状況で、やはりダメだった私。
この年から採用された赤ゼッケンの21番をつけていたが、翌年からいよいよ?緑ゼッケンをつけることになる。
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