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Man-B's History 
Man-Bの入院日記

- Man-B's History -

 Man-B(マンビー)、それは万年B級の略
'80年代後半から'90年代前半にかけての全日本選手権トライ
アルにおいて、毎年のようにあと少しのところで国際A級昇格を
逃していた私(TWK店主・小坂政弘)のことを、人はそう呼んだ
(・・・っていうか、自嘲を込めて自らそう名乗っていたかも?)。
このページは、そんな「バイク馬鹿」な一人の男の生きざまを
綴った履歴書である―――なんちゃって!?
初めてのバイク・ハスラー250と16歳(童貞)の私

1988年4月10日 全日本第1戦四国大会 匠とライバルだった一瞬
1987年の私は、第4戦で4位に入賞した後も手堅くポイントを獲り続け、国際A級昇格の可能性をわずかに残し最終戦を迎えたが、1週間前の練習中にひざの靭帯を痛めたせいもあってノーポイント(84年と同じようなパターン。今思うとどうあがいても国際A級には上がれない運命だったのかも‥‥‥)に終わり、最終ランキングは8位となる。

この成績は今ならめでたく国際A級昇格となるところだが、当時は上位5名までしか昇格できなかったため、翌1988年はゼッケン3番をつけて全日本を戦うことになった。

この年は“スーパールーキー”成田匠選手(当時16歳?)が国際B級になって全日本参戦を開始することが話題となっていたが、当時32歳の私も3年目になるTYRを完全に乗りこなし、シーズンオフの走りこみも十分こなし万全の体制で4月10日の開幕戦(@愛媛県・久万スキーランド)を迎えた。

13セクション3ラップで行われたこの大会、注目の成田選手は1ラップ目39点(クリーン1)。そして私は同41点(クリーン1)。その差はわずか2点。だが2ラップ目になると成田選手は33点(クリーン2)と大きく減点を減らしてきた。対して私は、手堅くまとめたものの42点(クリーン1)で2ラップ目を終え、二人の差は11点に開いてしまう。

そして迎えた3ラップ目、成田選手はクリーンを3個出したものの減点数は39点とやや乱れ、総減点は111点となる。そして私は成田選手と同じくクリーン3個をたたき出し36点でまとめ、トータル119点でこの大会を走り終えた。

そして最終的な結果はやはり成田匠選手が大方の予想通り優勝、そして2位には大方の予想を覆し(?)、私が入ったのでした!!!

この大会以降も成田選手は快進撃を続け、この年の国際B級チャンピオンとなり、翌年には国際A級一年目で全日本チャンピオンに輝き、その後世界選手権においても大活躍し、日本のトライアル界を代表するスーパースターとなることはご存知のとおり。

対する私の方はと言うと、この大会でまるで燃え尽きてしまったかのように、続く第2戦でノーポイント、第3戦5位、第4戦またまたノーポイント‥‥‥となぜか振るわず、結局この年のランキングは12位止まりで万年B級街道まっしぐらと、対照的な結果に。やはり持って生まれたものの違いですかねぇ???

でも、この日1日だけは、私はまぎれもなく匠のライバルだったと思います。そして今でも、匠くんとはマブダチの関係が続いています(そう思ってるのはこっちだけだったりして???)。

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